【他人の行動や表現に対して、あなたが不愉快を感じたとき、あなたはどうしますか?】
他人との関わりの中で、あなたが何かしらの「不快」を感じたとき。
実はそのとき ”あなたの側に何かしらの問題が有る ”ということが端的に示されています。
他人の側に問題が有るわけではありません。
あくまでもあなたの心に「壁」が有るからこそ、あなたが不快を感じてしまうのです。
自分が感じた不快の原因を、他人のせいにするのも別に結構ではありますが、それによってあなたの人間的成長が図られることは、残念ながらほとんどありません。
以前の僕がそうであったように。
不快と感じる他人を、あなたの目の届かぬところに遠ざけたところで、それによってあなたの不快の原因が消えるわけではないのです。
見ないフリをしたところで、あなたの心の中にある壁は無くならないんです。
心に何かしらの壁があると、そこに詰まりが出来ます。
詰まりがあると、行き場が無くなって苦しくなります。
苦しみが大きくなれば、痛みを感じることもあるでしょう。
そして、その苦しみや痛みというものを、他人との関わりの中で見出すことによって、何度でも何度でも不快を感じてしまいます。
それは意識がブレるとも表現できます。
・・・繰り返しますが、他人の行動や表現に対して、あなたが不愉快を感じたとき、あなたはどうしますか?
他人の行動や表現というものは、じつはその人が自分に生じた不快を解消するためとして選択されているものです。
あなたと同様に、苦しみや痛みの原因となる心の壁が他人の側にもあって、その苦しみや痛みから逃れるために、なんらかの行動表現を選択しているのです。
あなたが他人に対して何かしらの不快を感じたときは、じつは他人の心にも、必ず何かしらの苦しみや痛みが在ります。
他人の中にも、あなたと同様の「悲しみ」が隠されています。
その「悲しみ」を癒すためとして表現した他人の行動に対して、いちいち不快を感じてしまうようであれば、それは残念ながら、人間的に未熟だといわざるをえないでしょう。
「悲しみ」を思いやる心を持つと、憎しみの心は消えて無くなります。
そして、自分の心の中にある壁を、自分自身で取り払うことが出来れば、他人の悲しみを限りなく許すことが出来るようになります。
そこには争う心も生まれません。
他人の悲しみを限りなく許す。
それは自分の悲しみ、痛み、苦しみ、それらを限りなく許すということでもあります。
・・・許すことは許可するということ。
つまり、可能性を広げるということ。
悲しみをどこまでも受け入れ、痛みを分かち合う心を育む。
真の自由の心を手に入れるためには、悲しみをどこまでも許容する『慈悲の心』を自分自身に求める必要があるでしょう。
『慈愛の心』と『慈悲の心』 その両輪を自分自身に求め続ける。
・・・これが今後の僕の新たな課題ですね

『壁があるからこそ、壁を取り払っていく過程が楽しくて仕方がなくなる』
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