2013年3月21日木曜日

 病を得ればこそ、人に希望と価値を与えることのできるチャンスがある


お医者さんや医療施設、医療関係者っていうのは、基本的には人の病気や怪我を治療するために存在していますよね。


彼らは「病気に苦しむ人」に対して、「病」を治療してあげることで、 病気に苦しむ人と、その関係者の人達に対して「安心」「喜び」を提供し、

その喜びの感情を互いに分かち合いながら、 病を無くした対価として、報酬を得ています。

医療従事者はそうやって自分の生活の糧を得ています。



ところで、昔のお医者さんなんかは、患者の病気を治療したら、その人に「もう二度と来るな」っていう風に説教してた人も少なくなかったそうです。


病気の患者は、医者にとって生活の糧でもあるのにね(笑)



・・・まァ、それだけ昔のお医者さんは「慈悲の心」をもって仕事に勤しんでいたということなんでしょう。



ただ、現代のお医者さんは「慈悲」というよりも、どっちかっていうと「慈愛」ですよね。


現代の医療関係者は、とにかく人の喜びと安心のために医療行為を提供しています。


より多くの人の喜びと安心を生み出すために、様々なサービスを拡張し続けています。



ですから、患者に対して「二度と来るな」なんてことは、まず言いません(笑)



患者に対して安心と喜びを提供することこそが最大の目的ですから、下手したら「また来てくださいね」ぐらいの意識をもってサービスを革新し続けています。
(ちょっと言い過ぎかもしれませんが)


なので、病気になった人の中には、自分でも気づかないままに、病気であることに依存しちゃったりする場合もあるんですよねー。



・・・そういった人は自ら病を無くすることはできません。



なぜなら病気になっているからです。



病気に甘んじてしまっているからです。


自らを変革するところに「快」を見出そうとはしないからです。


他への変革を求めることで「快」を見出そうとしているからです。




・・・・玄米屋たいぞうの健康創造における思想の究極


それは「自ら病を無くするところ」にあります。


それについて詳しくは、【玄米屋たいぞう語録 其の五】にも書いたことがありますね。



でも、自ら病を無くすなんて、そんなこと出来るんでしょうか?



・・・ええ、できますとも。


断言します。



「理解」をもって自らに「快」を見出し、それを「人の快び」として提供し続けることによって、病そのものを無くすることができるのです。


抽象的な話で、胡散臭く思われるかもしれませんが、事実です。



僕は医者や医療行為を批判するつもりは全くありませんが、 人の安心や喜びのために、わざわざ病を創り出すようなパラダイム(社会の価値観)から、脱却できる人を増やしたいと思っています。


僕は自ら医療行為に依存してしまうような人を見るのは好きじゃない。


医療へのキリのない依存を創り出している社会や、経済成長のためにそれを拡張しようとし続けている政府の有り様は見るに耐えない。


病気への恐れから、未来の価値を貶めてでも、刹那の安心や喜びを求めようとするような人は、やはり尊敬し難いんですよ。


正直言って。(ゴメンなさいね)




なので僕は、未来の価値を創造するためとして、自らの恐れを自らで克服し、それによって得られる喜びを、人に与えることができるような人を増やしたい。


自らの手で運命を切り拓き、いかなる病をも自ら克服し、あらゆるすべてのものに打ち克つ力


そんな強さを人に分け与えることができるような人。


僕の憧れは自他ともにそこにあり、そんな人を増やしたいのです。


病気になって、他人に求めるばかりの人になってしまうのではなく、 病を得たからこそ、他人に対して何らかの価値を与えることができる人。


そんな人を増やしたい。



今は病気になると、医療業界に価値(=お金)を提供しようとする人が多いようですが、僕はそのパラダイムを変革したいんです。




ただ今、そんな思いに賛同してくださる仲間を大募集中です。



※この話にピンときた方、少しでも共感していただけるような方は、ぜひ玄米屋のメールセミナーに参加してみて下さい。(無料サービスです)


玄米屋たいぞうのパラメディカルヘルスセミナー 【オージャの理】

0 件のコメント:

コメントを投稿