2013年4月2日火曜日
「がん検診を受けましょう」の呼びかけと半分の法則
※ 下のリンク先から、この記事を音声にて聴くことができます。
音声ファイル(6分8秒) 「がん検診と半分の法則」
先ほど何日か前の新聞を読んでおりましたら、 これまでガンの手術を4回受けたという、有名ジャーナリストのT越さんの講演の記事を目にしました。
その講演の中で、T越さんは 「身体は痛みで問題を知らせるが、早期のがんは痛まない」 と話しながら、聴講者たちに定期的にがんの検診を受けるように呼びかけたそうです。
身体の異変を感じても、都合の良い方に考えていたというT越さん。
T越さんは戦場の取材の際にも弾に当たらず、地雷も踏まなかった自分が、まさかガンになるとは思いもしなかったそうです。
(・・・まぁ、そういう人だからこそ、今を元気に生きているのでしょうケド)
また、検査の内容や手術の選択について、自身の体験を交えてユーモアたっぷりに紹介しながら、
「ガンになった後は、自分の身体や健康に気をつけるようになり、おかげで元気になった。」
と話しながら、会場に集まった250人を楽しませたとのこと。
それってのは「一病息災」というヤツでして、以前に玄米屋たいぞう便りの中でも紹介したことがありますね。
玄米屋たいぞう便り19号 「無病息災、一病息災」
要は苦しみの根源である肉体環境に気を配ることによって、元気を見出すことになるということです。
ところで、この「ガン検診を受けましょう」という呼びかけですが、 以前の僕はですねー、こうした主張については否定的ないし批判的に捉えていました。
なぜなら、ガン検診を受けることによってガンというレッテルを貼られ、人が病気にされてしまうと言えなくもないワケですし、
ガンという病気のレッテルが社会的に広く認知されることで、実際にガンという「病気」となってしまう人が増えているからです。
それはガンだけでなく、過去に僕に貼られたレッテルであるC型肝炎や、B型肝炎なども同様でしょう。
そもそも誰であっても毎日ガン細胞は生じていますし、ミクロレベルのガンも常に生じているとのこと。
免疫や自然治癒力に抗うカタチで生じた新生物(がん)が、ある程度の大きさになった時、 医療検査によってガンと判定された際に、医療業界の人達に「あなたはがんです」といったようにレッテルを貼られるだけのことなのです。
それが健康なのか?不健康なのか?については、本当は別のことであって、そもそも、そういうのはハッキリいって、余計なお世話だと言えなくもないのです。
(ちょっと言い過ぎかもしれませんが・・・・)
ガンだと判定されることによって、社会活動を不自由にされることもありますし、自ら不自由へと陥ってしまう人も少なくありません。
また、多くの人達がガン検診を受けることによって、この社会で必要とされる社会福祉費用は増加する一方になります。
保険などによって必要な治療費を都合できる人もいるでしょうが、その支払い費用を捻出するために、保険会社はさらなる人の不安や恐れを煽りながら、人の安心のためとして保険商品を販売します。
その経済活動における虚構の安心こそが、人の自立と自律を阻み、じわじわと人の健康を貶めることになり、
被害者意識や消費者意識など、ネガティブと称される意識のスパイラルに陥ってしまう人を増やすことにもなってしまう
・・・以前の僕はそのように考えていたからなんですね。
まだまだ書き出すとキリがありませんが、しかし、今の僕はそうした事実に対して、否定や批判をする気など全然ありません。
なぜ僕がそういった心境に至ったのか?については、また別の機会にでも話そうと思いますが、
・・・ただ、例えば僕が「ガン検診を受けましょう」とか「C型肝炎の検査を受けましょう」などと他人に対して呼びかけるようなことは、まずありえないでしょう。
ガン検診やC型肝炎の検査を受けたところで、それによって誰もが健康になるとか、幸せになるなどとは限りませんから。
そういう意味で、T越さんの主張については話半分に聞いておいた方が良いと僕は思いますね。
もちろん、僕のこの話についても半分に聞いてくれて構いませんがね。
なんせ、この世には「半分の法則」ってのがありますから。
自分にとって正しいことが、他人にとって正しくなるとは限りません。
同様に、他人にとって正しいことが、自分にとって正しくなるとは限らないワケです。
表があれば裏があるように、
光があれば影ができるように、
僕たちは誰しもが相対の世界に生きています。
唯一つ絶対となることといえば、これを読むことが出来ているあなたは、必ず生きているということです。
あなたの「生」
それこそが「絶対」
あなたが今、あなたの生をどのように感じているのか?
そこにこそ絶対的なるあなたの価値があるわけです。
人は必ず死ぬので、「死」も「絶対」だと主張される人もおりますが、 死とは人が便宜上創り出した概念であって、死を絶対とするならば、人は常に死んでいます。
そうした人は「死中に活在り」という意味で、「死」を絶対視しているのかもしれませんね。
ですので、僕にとっては「死」という概念は「再生」となります。
「再起(リボーン)」でもいいし、「最誕生(リバース)」でもいいでしょう。
僕の生も、あなたの生も、常なる再生の中にある。
その認識を無意識にまで落とし込むことさえできれば、あなたがいかなる状況に在ろうとも、自然と力が湧いてくるかもしれませんネ
・・・ナンだか最初に書こうと思っていたこととは、全然違う方向の話になってしまいましたが、まぁ、こういうのもアリでしょう(笑)
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