2013年3月15日金曜日

「美しい言葉」に『氣』をつけたいと思います

 美しい言葉に氣をつけます



先日、「理屈をバカにするような人はバカだ」という話を書きました。


前々回記事はこちら




「あまり美しくない言葉を使ってしまったなァ」・・・と反省しております店主です。





僕が人をバカにしているわけではないことは、文脈からお分かりいただけると思いますが、
(そうあることを願ってます)

ただ、言葉の使い方に不快を感じてしまう人は、決して少なくはないですよね。




まだまだ表現の仕方が未熟で申し訳ありません








・・・その先日の話の補足になりますが、


例えばですねー、



子供ってのは無邪気なモンでして、その元気や感情表現はハンパじゃないですよね?



放っておけば、怖いもの知らずで色んなことに手を出すし、自由奔放に遊びを見つけます。



でも、怖いもの知らずであるために、危険なことに手や足を出してしまうこともあります。



ですから普通の大人であれば、何らかのカタチで子どもの行動に制限をかけますよね。



それによって子供は危険なことに自ら足を踏み入れるようなことはなくなるわけです。



ただ、中には駄目だって言ってるのに、危険なところに行っちゃう子供もいますよね。



・・・それがバカだって言ってるわけではないんですよ。




危険だから駄目だって言ってるのに、そうやって心配している大人を思いやることができずに、どうしても危険なところに行かないと気が済まないのは一体なぜなのか?



そんな自分を理解しようとしないことがバカだって言ってるんです。







・・・そして、本当は行きたいのに、危険だから駄目だという大人の理屈に従い続ける子供がいます。



そんな子供の中には、大人になっても昔言われた理に屈してしまい、自分の感情をいつまでも押し殺してしまっている人もいます。


僕はそれがバカだといってるわけではないんです。




自らで過去の「理」に屈して、自らで感情を押し殺しているにも関わらず、そんな自分を『理解』しようとせずに、いちいち理屈に不快を感じてしまうからバカだといったわけです。



・・・皆それを『理解』することのできる力を持っているにも関わらず。


それってのは、今は「子供の遊び」を例に挙げましたが、「食」でも何でもあらゆることに通用する事実だと思っています。




肉を食べてはいけないだとかいう人や、そんな言葉にいちいち反発する人




タバコは体に良くないから駄目だという人や、タバコをやめられないことに自己嫌悪に陥る人



あらゆる否定や反発の心は『理解』によって解放することができるのです。




あのマザーテレサもこう言ったそうです。



【私たちの周りの人々を理解するように懸命に努力を尽くすべきです。そして、ともに住む人々をより理解するために、自分自身をまず理解することがどうしても欠かせないのです。】


【愛されることより、愛することを。理解されることより、理解することを大切にしなさい。】




・・・まあ、でも、やはりバカという表現は美しくはないですね




この反省を次につなげて生きたいと思います

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